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◆越中五箇山物語◆vol.11
◆越中五箇山物語◆vol.11
※文章は五箇山在住の方から頂いたものをエッセイ式に掲載しております
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五箇山的日常生活(私の場合)そのA
仕事柄、修学旅行などで訪れる他地方の小学生からの質問で、
「冬は雪がたくさん降って、どこへもいけないのですか」
「どこでどんな買い物をして、何をたべているのですか」
「お米はとれますか」
などと、正直、むむぅっと思う事をたずねられたりもする。
私らにとっては「あたりきしゃりき」の日常も、都会の子供達からするとこんなに山奥で、マックもコンビ二もないし、どうやって生活するの?と不思議な感じがするのであろう。
宿泊斡旋や観光案内、道案内などの電話応対、それに民謡の歌詞や楽器の説明、特産品の案内など、それなりにしゃべりまくり、資料を引きまくりで1日が過ぎてゆく。
ひと昔は、冬は確かに平野部に行くのも難儀であった。
例えば、保育園に通っていた
昭和50年代前半、俗に「まち」という平野部へ行くとなると、ひと苦労であった。
昭和49年。雪の多い五箇山でもその年はわりと多いほうで、そのさなかの2月に私は福光町の産院で産声を上げた。
その時母親は、川下りの船で平野部の産院へ行かなければならなかったそうだ。
それから3歳であったかと記憶しているが、祖父が金沢市内の病院に入院したときは、祖母に連れられ、やはり船で庄川町まで行き、そこからバスを乗り継いで見舞いに行った。
ちなみに自動車で行くには、3時間以上もかかったのであるから、今と比べると4倍近い時間を必要としたのだ。
その3年後に、国道156号線が開通。黒い車とパトカーの行列に日の丸を振った覚えがある。
そして小学校4年のとき、304号線の五箇山トンネルが開通。
これは、まさに生活スタイルを一変させた。
何しろ、雪が降っても、普通に峠を越えられるのである。
それが何、ということであるが、例えば毎朝6時には新聞がポストに入っているということ。
東京へ飛行機で行って日帰りができるということ。
町の高校へ、下宿せずに通う生徒が出てきたということ。
まさに五箇山的生活スタイルが「一大転換」した出来事だった。
そして平成12年9月には、五箇山ICが開設。
日本の自動車道トンネルとしては第9位の長さを誇る袴腰トンネルの長さに愕き、細い目を精一杯真ん丸くさせながら開通パレードに参加した。
「この先は一体どうなるんだろう」と、ある種の不安も少し抱きながら。
毒舌で名高い、某有名タレント兼映画カントクが、
「過疎化を防ぎたかったら、道を作って便利にせずに、逆に塀を作って出られないようにすればいい」と行っていたことを思い出した。
極論ではあるがそれも一理あるなあと常々思ってはいるが、道が便利になった、恩恵は、計り知れないであろうと思う。
年間絶えることなく観光客が訪れ、冬だから、とこもる必要がなくなった事もひとつ、国体スキー競技も人口1千人足らずの村で開催できた。
それに、お金と時間に余裕がある人が望むなら、マテリアル(物欲的)な生活だって都会と何ら変りなく出来る。
それから2年後。
はからずも双子を宿し、金沢市内の病院に入院した私は、真夜中に子供を産むことになる。
そのときに身内が駆つけた、
要した時間が、なんと45分。
そんなことで、と言われるかもしれないがあくまで私の場合なので、ご容赦願いたい。
つまり、こう言いたいのだ。
自分が産まれた時は、川下り。
そして産む側の立場になった
時には、高速。
ビバ、高速。
あくまで私の場合、としつこいようだが、ご容赦願いたい。
文章:@ゆっけ
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※写真はイメージです
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